「。」を打つ
- shima1003
- 2024年7月24日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年7月25日
最近、大切な、大きな大きな「。」を打てた気がして、とても清々しい気持ちになっています。
私は、した事、言った事、してもらった事は忘れない人でいたいと思います。
された事、言われた事、してあげた事は、できるだけ早く忘れた方がいい。
特に、された事、言われた事は、同じ土俵に立つから、傷付くし腹が立つのだと思います。
もちろん、私が未熟だから腹が立ったり傷ついたりする、というのが大きいのが一番だとは思います。
ただ、思いを共にすることが難しい、もしくは、全く方向性の違うことを、疑問を感じたり、心に無理をさせて、自分に嘘をつきながら行うことは、しないほうがいいと思うようになりました。
私は、平和・人権に関する「みんな大切な命」という講演コンサートを行なっています。こういう平和コンサートは2012年にスタートしました。これまでの12年間、本当に多くの方々にお世話になっています。一回一回、私なりに平和への思い、命の大切さを全力で伝えてきたつもりです。そのことについては、責任を持つべきだし、その思いと違うことをするわけにはいかないと思っています。
どんな理念があろうと、それに従って欲しいからという理由で怒鳴ることは間違いですし、メールで長々と相手を追い詰めるようなことを書いて送るということも、絶対に違うと思うのです。自分にとっては正しいこと、分かって欲しいことなのかもしれないけれども、立場によってはパワハラになってしまう可能性もあります。訴えられていないだけで、そう思われていることもあり得ます。
ただただ思いを分かって欲しい、ということが発端だとしても、そのための行為によって人を傷付けていることだってあるのです。それに気付けないのだとしたら、おそらく自分のことしか考えていないということではないかと思います。
「平和」や「人の命」の大切さを伝えるのであれば、普段から、人への気遣い、気付き、人に寄り添うことが出来なければと常々思っています。
いろんなことがありました。
でも、数年ぶりに大切な友と会って、言わずとも、心の底から理解してくれる友がいる、ということを実感しました。
あることが珍しい、という「有り難し」こと。
有り難し出来事を巡って、人としての学びを得たことに、心から感謝した時に、大きな大きな、しっかりとした「。」が私の中で打てました。それを実感したのは数日後なんですけど、とっても、とっても清々しい気持ちになっていることに気付きました。
多分、今、一番充実していて、一番幸せです。
昨日生徒さんから「先生の波動が高いです!」と言われたことが、勲章のように思えました。その生徒さんにも感謝です。ま、この波動は、たくさんの神社にお詣りしたからかもしれないけれども笑!
生徒さんを、団員さん、お客様を大事に大事にしていこう。もう、絶対絶対大事にしよう。改めて、そう思いました。
そして、私が大事に思う平和や人の命について、音楽を通して、穏やかに真摯に伝えていきたいと思います。
とっても良い大きな、はっきりとした「。」が打てたのも、友のおかげ。感謝のみが心にひろがることの充実感で満たされています。
未熟で至らない私に関わってくださる方々に、心より感謝申し上げます。
できましたら、これからもお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
友へ。心から、ありがとうございます。

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